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「世田谷の南の散歩体験」と「江の島散歩体験」

弊社発行の本の中でも、「本の中で散歩する」というコンセプトで作っているシリーズは
2冊ありますが、第一弾の『世田谷の南の散歩体験』は、発売から1年半ほどが経過している。
setagayabon
もちろん、爆発的に売れているわけではないのですが、
常に一定数売れ続けている様子には「地元もの」の底力を感じます。
病院での販売についても、入院されている方やお見舞いの方に重宝されていると聞き、
この本を作った甲斐があったとありがたく思います。

第二弾の「江の島散歩体験」は、発売からおよそ3カ月が経過。
enosimabon
こちらもぼつぼつと売れてくれているようなのですが、
この本にかけた一番の願い「観光地の新しいおみやげとしての印刷物」としての
反響が徐々に聞こえ始めている事も嬉しいニュースでした。
販売当初は「本は売れないから・・・」という反応だった江の島のお土産屋さんでも、
2月の基本的にお土産の売上げが落ちる時期に初回納品分が完売。
この「新たなお土産」を見直していただけたようで、こちらもホッとしております。
これから本格的な観光シーズンを迎えるにあたって、
より多くの人に手にとっていただき、楽しい一日の追体験をしていただければと思います。

「世田谷の南の散歩体験」は、妻が入院したときに「売店で買ってあげられる楽しい物がない」というところから。
「江の島散歩体験」は、旅行の時にお土産屋さんでいつも欲しい物が見つからず、現地の方に「ほんとはもっとオリジナリティのある物がほしい」というお話を聞いたことをきっかけに作ることを決意しました。
それぞれの本にかけた願いが叶って、買う人も売る人も「良かった」と思える印刷物になれば嬉しいことです。(円)
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松陰神社通り商店街

私事ですが、ちょっと前に引越をして暮らす街が変わりました。
ちょうど里心がつく頃といいましょうか、
いま改めて、これまで暮らした街の良さに感じ入っています。

松陰神社商店街。
世田谷通りから文字通り「松陰神社」へと続く一本道沿いの商店街ですが、
多分世田谷でも一番好きな商店街だと思います。
私はこれまでも世田谷区内で4回の引越をしていますが、
商店街を「実力」で好きになったことはありませんでした。

たとえば、世田谷通りから商店街へと入る角にある「美の輪寿司」。
ここの「トロ巻き」は好物のひとつで、どこかへ行くときに持っていくと、
かなり喜ばれます。トロがちゃんと旨いし、海苔が良いかおり。
おいしいのり巻きに気が付けます。
あと、オヤジさんの職人気質だけれど、まなざしが優しげな感じも好きです。

さらに進んで「おでん種おがわ屋」は時々おかずに困ったときに重宝。
ただ、その向かいの小さなモール内にある惣菜屋さんが重要。
ここの惣菜がおいしい! 
高菜炒めは感動的な旨さ、茄子の煮物も好きだなあ、あと豆腐ハンバーグとか。
笑顔がいい感じのお母さんがやってます。
さらにその並びの鶏肉屋さん。
ここのもも焼きはタレの味と焼き具合に技を感じる一品。
巷で良く見かける、とろみのあるあんかけ風の照り焼きが苦手な人、甘ったるい味付けが
きらいな人はぜひここで買ってみて下さい。焼き鳥も旨いし安いし。

で、ぐ~んと松陰神社近くの「三理酒店」。
酒屋というものがどこも同じではない、ということをここのおかみさんに教わる。
日頃からそれほど飲まない私ですが、
たまには、と思い「なんかおいしい日本酒ないですか?」と、おかみさんがオススメしてくれた、
700円程度のにごり酒を買ってみたらこれがいい!
香りもよくて、すっきり味、料理に合うし、しかも安いのがいい。
さらに、たまにはワインでも飲んでみるかとたずねてみたら、
「最初はこんなの飲んでみるといいかも…」と、またもドンピシャ。
ブドウを感じる香り豊かな味わい。
実はワインはちょっと苦手とも思っていたのですが、完全に買い置き状態です。
おかみさんのアドバイス的確です!

客の要望に応えられる。なによりこちらが良い物を紹介してもらったと感動できる経験。
そういうものがいくつもあった松陰神社通り商店街。
おしゃれなカフェだとか、行列が出来る店だとか、なんだとか。
とかく前評判ばかりで店を選びがちだが、
昔から近所の日常を支えてくれている商店街の店には、こんな地に足が着いた実力がある。
客の側が感動する、そして納得できる。
かっこばっかりの店と違う。

引っ越して少し離れてしまったが、やはりこの商店街にはもうひと足伸ばしていく価値がある。
松陰神社通り商店街のおじさん、おばさん。
身体に気を付けて長く続けて下さい。これからもお世話になります。(円)

せたがや見どころマップ「24の物語」

setagayamap.jpg

今年の初め、弊社で制作させていただきましたせたがや見どころマップ「歩いて出会う世田谷24の物語」。
世田谷区の各施設にて配布されるとのことでしたが、
知人から「見つからなかった」という話をいくつか聞きました。
そこで私ももらいに行ってみて分かりました!

置いてはあるようなのですが、案内窓口などで職員さんに声をかけて
「せたがや見どころマップもらえませんか?」とたずねると、出していただけるようです。

私も「ご自由にお持ちください」くらいの置き方になっているのかと思っていましたが、
ある意味、無駄にならないように在庫管理されているということでしょう。

欲しい方は、窓口でヒトコトかけてみてください!

全ミに想う。。

今日は月に一度の全ミの日でした。
会社の「全体ミーティング」の日です。
なんせ少人数ですので
毎日同じ部屋に集まって仕事をし、お昼を食べ、語りをしている私たちですが
それぞれの仕事や生活の動きの中で生まれてきた
仕事の案件や新しい企画、作りたいものについてを
改めて話し、練り、共有していく大切な時間です。
会社の内外で起こしたアクションや
自分自身の中で掘り起こしたこと、発見したことなどなど
一ヶ月の成果を持ち寄る場ともいえます。

今日はふと
たった6人で囲むテーブルの上にも
時代や状況の変化、そして人が求めるものの変化が
くっきりと映し出されていることを感じました。

それは私たちを求める人、求められること、自分達が求めること、すべきことなどからです。

変わらない部分ももちろんある(というか実際はそちらの方が大きいのかも)のですが
そういったちいさな変化が反映され続ける場であってほしいと思いました。
そして、なにかのせいにしたり大事なことを妥協してあきらめる道をとらない限り
その変化は決して悲観する対象にはなり得ないとも。

取材の後だとたま~に睡魔が襲いカクッとくることもある全ミですが
今日はかなりいろいろ感じ入っちゃいました。(池)

ある世田谷タウン紙の記憶(6)

ここ数日はバタバタしていてほとんど記憶が飛んでいますが、思ったこと。
・大河ドラマ「龍馬伝」に武田鉄矢(勝海舟役)登場。やはり存在感ある。
何にしても“いきいきやっている人”の姿は潔くて見ていて気持ちがいい。
・上海万博のPRソングの盗作問題がよく報じられているが、
先日テレビで観たドラマもかなり海外ドラマのパクリであった。
もう国とか関係なく、「作る人」個人のこだわりの問題であると思った。
それ金を払う側もどうかと思うが。

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さて、前置きが長くなってしまいましたが、
一部の関係者からは早く書け、と言われていた印刷会社の社長さん(S土さん)登場。
かつては今のようにパソコンで入稿データをポンと送れる時代ではなかった。
タウンボイスの印刷入稿も、紙版下を入れた大きな黒いケースを抱え、田園都市線(かつては新玉川線)
に乗って印刷屋さんに届けていた。
ここの社長さんがまた最近ではなかなか出会うことのできない人物。
版下を届けると、だいたい1時間ほど捕まってのトークが始まる。
これを密かに「S土塾」と呼び、社長さんを「塾長」と呼んで慕っているのは私と、
現在の印刷上のやりとりの窓口となってくれているガッキー様くらいか。
ガッキー様とのご縁も塾長のおかげである。

S土塾第一回は衝撃的で、まだ印刷のことが良く分からずにやっていた私の色指定を、
入稿するや勝手に「こんなところに4色いらないよ」といって書き直してしまう!!
で、印刷というものの講釈が始まる。
若気のいたりで「なにすんですか!!」となる私、
でも今思うと確かに1ミリない罫線に4色指定は不要であった。

S土塾長の語録はガッキー様と語り合えばいくらでも出てきそうだが、
「あんたね、なんの為に働いてんの? 社員みんなと幸せになるためでしょ」
「最近お母さんに孝行してる? お母さん大事にすると必ずいい風向きになるからさ」
「ニューヨーカーはね、朝のコーヒーよりもまず情報が大事なんだ…」

時に、社長室ではなく、ランニング一枚にタオルを首にひっかけてごっつい印刷機をいじっている姿、
それがS土社長であり、タウンボイスの幾多のキビシイ時代を「おれがなんとかするから、安心して作んなよ」
と言ってくれた町工場気質の社長である。
借り物のビジネス論など口にしない、たたき上げの哲学はゆらぐことのない安心感で
この若輩者を導き、守ってくれていたように思う。
朝日タウンボイスを支えてくれていた重要人物である。
だから休刊の連絡を入れるときは、誰に言うよりも一番辛いものがあった。
「あんた良くやったよ、今度いっぱいやろうよ…お茶でも」と塾長の言葉が救いであった。(円)

やっぱり春、なのです。

品川の京急線「立会川」駅から歩いて5分
立会川沿いに運河に出ると
旧東海道と平行して運河沿いに続く道があります。
その名も花海道(はなかいどう)
2キロに及ぶ菜の花の道です。
ボランティアの人たちが土手にそれぞれ自分の区画を受け持ち
菜の花を育てているんです。

花海道419


雪が降っても
コートが手放せなくっても
東京は今、春ですよー(池)

笑う狛犬さんのいる神社。

Eさんのタウン誌の記憶はまだまだ続きますが
今の日常も平行してまたつらつら書いていきますね。
顔をご存知の方もそうでない方も
なにせこの世に何億もあるだろうブログの中で
わざわざここにおこしくだすっているんです
スタッフそれぞれ、少しでも多くお話をしたい気持ちがあるんですよ。
お暇な時で結構ですので、これからも少しばかり、気長にお付き合いくださいませ。

ブームでも、最近よく耳にするパワースポットとかいうものでもなく
なんとな~く好きでふらりと立ち寄ってしまう
そんな「マイスポット」ありませんか?
品川区の鮫洲八幡神社は
わたしにとってのマイスポット・マイ神社です。
京急線の各駅停車しか停まらない「鮫洲」駅からほんの数メートルの位置にあります。

samezu1

この周辺の鎮守であったそうで
こじんまりとした境内に関わらず、立派な佇まいの本殿もいいですし
境内の脇の細道もいい味だしてます。

鮫洲八幡080415

道の真ん中でひなたぼっこしている猫に
チリリンと鳴らす自転車のベルも少しのんびり聞こえる道です。

鮫洲八幡050415

神社の境内と繋がる形で、厳島神社も祭られています。
夕方になると学校帰りの小学生たちが集まってくる場所です。

鮫洲八幡070415

子どもの吸引力のひとつがこれ。
厳島神社の池の主であります。

鮫洲八幡神社の一番好きなところは
入口すぐで迎えてくれるこの狛犬さんです。

鮫洲八幡030415

笑う狛犬さん!
ホンジャマカの石塚さんみたいな見事なスマイルなんです。
ちなみに対になっているもう片方の狛犬さんはというと。。

鮫洲八幡040415

やっぱりこちらもぱかっと大口開けて笑っておられます。
その笑顔を見ると
わき腹をくすぐられた時みたいにこちらも笑顔がこみあげてきます。
ちょっと気持ちを緩めたい人はぜひ彼らに会いに行ってみてください。
みなさんにもマイスポットありますか?(池)

鮫洲八幡神社
品川区東大井1-20-10
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/09_shinagawa/9019.html



ある世田谷タウン紙の記憶(5)

一昨日はめずらしい来客が続いた。
久しぶりに来ていただいた税理士U宮さん。暗くなるお金の話も早々に、彼の郷里の話になった。
みんなでグーグルアースで四国にあるご実家を見ながら、「ここがああだ」とか「意外とこうだ」といった
話が面白かった。身近な人のルーツこそ、かなり楽しいテーマかもしれない。
また、ライターSみんさんもお久しぶり! 年末以来です。
相変わらず新しいことに勉強熱心な姿勢に敬服。勉強させていただきました!

さて、朝日タウンボイスに関する過去の記憶の話です。

いよいよ下北沢の一角の、5人も座ればいっぱいになるテーブルを囲む編集部で、
タウン紙制作の日常が始まった。
しかし、現在のそれと大きくことなる環境であるのが、まず当時はパソコンというものが無かった。
少なくともタウンボイスには。それに、携帯電話を持っている人も当初はいなかったように思う。
せいぜいポケベルという時代。
なので、“5人も座ればいっぱいになる”テーブルには、原稿用紙と筆記用具、取材ノートくらいが
置ければ充分のスペースなのであった。まあ、時々ワープロも使っただろうか。。

新人スタッフの私は、もっぱら商店街の人のところへお使いに行くとか、
地域の小さなイベントの取材などが日中の仕事。後はディレクターのN尻さんに命じられた仕事を
怒られないように細心の注意を払って行い、2~3個見落としがある事を直前に気が付くことを「ラッキー」と
心の中でつぶやくような毎日であった。
当初はまさに地元の小学生が課外授業でやっていそうな内容である。
しかし商店街のいろんなお店に出入りしてみて、なんというかそれぞれみなさんが単に「お茶屋さん」であったり、
「用品店」であったり、「美容室」であったり、「天ぷら屋さん」であったりというだけではない、
という当たり前のことを感じた。
逆に言えば、これまでは掲げた屋号とその店員さんという見方しかしていなかった事に気が付く。
それぞれに「店屋」である前に、「○○さん」という人物であり、○○さんが××屋さんをやっている、
という捉え方が自然になるまでが私にとっては壁だったように思う。

夕方から夜にかけては、それぞれが受け持っている原稿を書いていたりする。
今では考えられないことだろうが、こういう仕事の人は結構喫煙者が多くて、
せまい編集部はそれこそ灰皿の上に火山が育ち、噴煙が立ち登るが不思議とどこかへ消えていくのも
タバコの煙の不思議なところ。
「オーブンに編集者を入れて、煙が出てきて顔色が悪くなってきたら原稿の出来上がりです」。

そしてN尻さんが登場し原稿をチェックし「ふ~ん、つまんないね」と笑顔、「ですかぁ・・」と私。
タウン紙の入稿時期が近いと、集められた原稿を入力会社に持っていくという仕事がある。
下北沢駅をまたいで反対側、ラブホテルの前を通って住宅街に入り込んだ一角にその会社はあり、
これまた手強いオペレーターのお姉さま方のキビシくも慈悲深いチェックをいただきながら、
版下を作っていただく。
これが、紙版下という時代。そして持ち帰り編集部で校正、容赦なく入る直しを持って、
また行く、「ちょっと~、切り無いじゃん」ということになる。

そして、完成した紙の版下を、見開き面は「なんとセロテープで!!」貼ってつなげ、
タブロイド版の当時は4ページ分の入稿用版下ができる。
広告などは、別にある紙版下をカッターで余白を切り、
ウラにハケでペーパーセメントを縫って「ペタっ」。
「曲がってんだろ、ボケが・・」N尻さんの指導入る。。
それから色指定だ。
今度はロールのトレーシングペーパー(半透明の薄い紙)を版下の上に被せ、
テープで止め、カラーチャートを見ながら赤ペンで色を指定していく。
「C30+M30+Y30+K30」(これってどんな色?)みたいに。なんちゅうアナログな作業。
でも、みっちり赤字で指定の入った版下を入稿用の袋に収めた時には、
やはり「できた!!」という達成感があった。
今思うと、手をめいっぱい使った工作のような編集作業は「つくる」というイメージに直結して好きだった。
この作業はスタッフ一丸となって行っていく雰囲気があり、
今のような「データをサーバにアップしましたので・・」みたいな入稿とは違った味があった。

こういうところでも、便利になる分、人は仕事の「おもしろいところ」を失っているんだとつくづく感じる。

こうして仕上がった入稿用原稿を、いよいよ印刷会社にこれまた「足で」運ぶ。
そしてこの印刷会社にまた面白い人がいるんだ。(円)

ちょっとで変わるんですなぁ

弊社は国道246号線沿いにあり、並びには昭和女子大学があるのだが、
今はまさに新学期も始まったばかり。
通りの歩道に新入学生のみなさんが登校風景も初々しい限りです。
ある意味風物詩でもあるのですが、
狭い歩道が行列状態で歩きづらくなるという一面もあります。
通学生と逆行して駅に向かう人など、ほとんど前進不能。。
さらに、他の大学からサークルの勧誘部隊が押し寄せてと・・・。

そこで歩道には学校が手配したのか、警備の方が通学生の交通整理をしているのですが、
今年はひと工夫あった。「左に寄って歩いて下さい」といったプラカードをかかげているではないか!
これまではあまり影響無かったように思うが、これは効果あるみたい。
右側に一人分くらいのスペースができた。
私がここに通い初めて8年でようやくの進歩であるが、
ちょっとした思いつきや工夫で大きく変わるものもあるものだ。
そういえば、会社のプリンターの印刷が汚くなってきて、「これも寿命かと」1年ほど困っていたが、
なかのローラーに手を突っ込んでみたら、張り付いていたゴミを発見。
ツメで削り取ったら直った。

無理だと思い込んでいたり、考えることをやめていたり、単に見過ごしていたり、
ちょっとしたことで改善できるのに気付いてないだけのことって結構あるのかもしれないな。(円)

ある世田谷タウン紙の記憶(4)

久しぶりにこう晴れた通勤道が気持ちいい。いつもの世田谷線添いの道端にも、ちらほらと草花の色彩が戻ってきた。

さて、以前別の会社にタウンボイス編集部があった頃、創刊2年目といった時期に
私は入社したわけですが、その当時の記憶。
私の在籍した初期のタウンボイス編集部を語る上で欠かせない人に、
フリーライターのT橋さんがいる。
すらりとして頭脳明晰といった感じであるが、人間的な隙みたいなところもちゃんと見せてくれる人である。
当時のタウンボイスの特集記事など重要な紙面によく起用されていたと思う。
今でこそ、フリーライターというと仕事があるときに打ち合わせに来て、
なるべく報酬街の動きはしない、というのが当たり前のイメージではあるが、
T橋さんはある意味それ以上、というか採算度外視でタウンボイスに関わってくれていた。

その根本は、彼女の信条とも思える「仕事への責任感の強さ」にあったのだと思う。
編集部のお姉さん的優しき存在でありながらも、一方で気の抜けない厳しさを持った人であった。
そんな彼女だから、具体的な仕事の打ち合わせだけでなく、なにかと編集部に寄ってくれては
作業を手伝ってくれたり、アドバイスをくれたりと、なにかとご指導いただいた。

そういう意味では(3)で書いた「Sみん」さんも同じように、
「ギャラいくらだから何時間」みたいな感じではなく、なんとなく編集部に立ち寄ってくれて、
誰が正規の編集部員だとか社員だとかフリーだとか、実は商店街の人だったりとか、
関係無しにどやどやと狭いところでやっている編集部だった。
みんなが紙面の企画で「やりたいこと」が溢れていて、自分の企画をやらせてほしいから
「編集会議」なんて時間を割かなくても、誰かが来ればおしゃべりの延長で自然と編集会議になってしまう。
そういう雰囲気に満ちていた。

初期の編集部で一番素晴らしかったのはこういうところ。
まああれだけ濃いキャラが、あんな狭いところに集まってしまったら「爆発」するしかないってことだ。

初期の編集部で、仕事をすることのベースをN尻さんから、
自分が出会ったものを表現するというこの仕事のツボをSみんさんから、
T橋さんからは責任を持って仕事にのぞむということを教わったように思います。

と、私はこんな雰囲気の編集部に身を置き、タウン紙制作に入り込んでいくのでした。(円)

ある世田谷タウン紙の記憶(3)

城南地区のタウン紙「朝日タウンボイス4区」の編集部で過ごしてきた十数年のヒトコマ。
先日「なんでこんなの書いてんの?」と、聞かれたのだが・・・。

NHKで放送されていた「うぇるかめ」というドラマが、
ちょうどタウン紙作りに打ち込むヒロインのお話だと聞いたが、視聴率がいまひとつ、
というところに、タウン紙製作会社というものがいかに世間で「ピンとこない」ものかと
思った。
そもそも、タウン紙製作会社なんて社会でもそんなにたくさんあるものでもない。
ならば、社会の片隅に「こんな仕事もあるんだ」と思っていただければ幸いと思った。
もっとも、今のタウン紙(今どきはフリーペーパー)製作会社はもっと洗練されているのかもしれない。
ここは相当「上手じゃない」ところだから。

で、ある意味記憶に残る入社式から、恐怖の上司が登場し、
その後の日常はまさに生意気な学生だった私が、こてんぱんにされる日々だった。
フリーデザイナーだが、社長の友人ということで夕方から編集部の「監督役」としてやってくるN尻さん。
毎日終業後、終電くらいまでの説教が2時間は繰り広げられる。
例の会議テーブルをつなげた作業台の角に腰掛け、今日の私の愚かな行いについてピンポイントの核弾頭が降り注ぐ。
とりあえず、私の社会人出発時の身分は「虫以下」ということになり、
指摘されることひとつひとつに、いちいち「ぐうの音も出ない」自分の甘さの多さに気が付く。
仕事のレベルの低さ、それに繋がる人間のレベルの低さとか。良いと思っていたことが実は悪いことだとか・・。
という日々が数ヶ月は続くのであった。
最初の頃は、こういう日々の中で地元のイベントの取材などが主な仕事だった。
ただ、時々「この面の企画考えてみて」と、N尻さんに言われることが、
新たな恐怖でもあると同時に、唯一そこから這い出すチャンスのようでもあった。

さて、この編集部にはさらにあと2人、重要人物が登場する。
先ずは、今もタウンボイス紙上での連載記事が人気の「Sのお」さん(通称:Sみん)。
女性で、身長は私の首の高さくらい、初めてあったときはグレーのベレー帽。
N尻さんからは、編集という仕事や社会人であることのそれこそ素地を学んだが、
Sみんさんからは、取材して表現するといこと、
「何が見るべきもの、気付くべきもので、それをどんな風に写真を撮ったり、文章として切り出すか」
ということを学んだ。教わるというより、彼女の仕事に関わらせていただいたおかげで、
感覚的に「この仕事」のツボとかノリとかリズムとかを学ばせていただいたと思う。
実は、彼女はある音楽の世界での文筆活動においても高い評価をされている方だったりもします。
それが何故か小さなタウン紙の仕事にも関わってくれたのは、
当時の編集部のあった「下北沢」というところに集う縁みたいなものがあったのかも知れない。
自由で、楽しかったり悲しかったりという人の持つ感情が、文字として紙の上に歩き出してくる。
辺りの情景を巻き込みながら描かれる、そんなSみんさんの文章や写真には、
学ぼうとしなくても自然としみ込んでくるものがありました。(円)

ある世田谷タウン紙の記憶(2)

「恐怖のデザイナー登場」

前回の通り、晴れて入社することになった下北沢の小さな会社。
介護用品の販売と同居してある編集部。
入社式は、近所の区民集会所を借りて、今思えばなぜかそこにいる商店街の人が
赤いチョークで日の丸と「入社式」と描いた黒板をバックに行った。
私の唯一の同僚は、偶然にも母校が同じひとつ上の女性。
ふたりしてパイプ椅子並んで座り、このマンガみたいな展開に半信半疑であるも、
どこか「シモキタだし、タウン紙だし、こんな感じか・・・」と、
この世界の別の次元ではきっと当たり前に存在している「ボロっちくて、ハートフル」な領域の住人に
なろうとしているような、そんな心境で事が進むのを見ているしかない感じだった。

そして、ついに登場する「本当の恐怖」。
ある日、例によって狭い編集部で、それこそ会議室にあるような茶色い安っちい木目のプリントされた
テーブルを2台くっつけた「作業台」のようなところに、4人くらいが向かい合わせに座る。
自分のスペースなんてほとんどなくて、真後ろの本棚の、本と上の棚板の10センチほどの隙間に
自分の荷物を押し込んでいた。
で、センパイ方にあれこれ教わりながらの仕事、
茶色い色つき眼鏡の女性(S藤さん)、この人とは今も弊社のスタッフというつき合いになる。
あと、30代くらいの女性(N山さん)、この人はOL時代があったようで、「社会における仕事」のあれこれを
教えてくれた存在。ちょっと美人で明るい、編集部のムードを引っ張る人だ。
で、同期(Mちゃん)と、考えてみれば女性に囲まれた職場であった。

で、登場する。タウンボイスの一時代を導いた実際の王様・・。
編集部のガラス戸を窮屈そうなGジャンの肩が押し開ける。
キャップから拡散するロバート・プラント風長髪。
また狭いところにどかっと腰掛けるこの人こそ、タウンボイスのディレクターとして
夕方からやってくる、フリーのデザイナー(N尻さん)。
人の人生を良くも悪くも20年分はどっかに放り投げることのできる、
力と強さ、厳しさ、的確な判断力を持つ人。
しかしこの人、かなりこわい。。(後世、それを上回る優しさがあることが判明する)

今の私があるのは(善し悪し抜きで)、
間違いなくこのN尻氏が徹底的に叩き直してくれたからである。
でなければ、この後18年近くも続けてはこれなかったろう。
そしてさらに、タウンボイス編集部には欠かせない強力キャラとの出会いがこの後に
待ち受けているのだった。(円)

ある世田谷タウン紙の記憶(1)

いよいよ新年度スタートということで、新社会人を映しだすテレビ、
また巷で列をなして歩くリクルートスーツ隊を見ると一応私もタウンボイス入社時を思い出す。

私のタウンボイス入社時、タウンボイスの制作は別の会社であり、私もそこに就職したわけです。
タウンボイスはすでに発行2年目を迎えていました。
そもそも入社以前、就職活動をということでその会社を訪れたときまず驚いた。
出版社風をイメージしていた私の前に、雑居ビルの一角に介護用品などが展示された
むしろお店のような趣。
恐る恐るドアを開けると、昔のミステリー小説にでも出てきそうな、
小柄でお化粧ばっちりな初老の女性が「こちらへどうぞ・・・」(秘書なのか・・?)、
(ここでいいのかな・・・)と、パーテーションの角を曲がるといきなり社長。。らしき人。
チンギスハンか大黒様かという風貌の彼が弁当屋のライスにサンマを乗せた昼メシの最中。
あっ、しかも一匹頭からいったところですみません。
「ああ、はじめまして・・・」となったわけです。

実はこの社長、お名前がちょっと女性とも思える響きで、
私はこの瞬間まで、
「世田谷でちょっとお金持ちで、時間を持て余しているけれど、ちょ~っと文化人的な日常を過ごしたい感じの女性」
っていう感じの世田谷によくいるタイプの社長さんなんだろうなぁ、と思っていただけに、
サンマに食らいつきながら、余った口の半分で「どうも~」という登場は完全に不意打ちだった。
まあ、こちらとしても一気に気が楽になったことは言うまでもない。
それから10年近く、その社長とつきあうことになるとは思ってもみなかったが・・・。
面接を終え、学校の就職指導室のお姉さんに報告の電話を入れ、
「あなた大丈夫? ちゃんとした格好で行った? 挨拶した? 失礼無かった??」と、
私の学生生活で得たところの評価が充分に伝わるご心配をいただき、
「ハイ、サンマを二匹ほど平らげられていました」と、報告しました。
ちなみに、面接を終え帰りがけに「僕は、どうだったんでしょう?」と聞くと、
「ああいいよ、来たいときから来なさい」と、その場で内定をいただき、もっとも遅く就職活動を始めた
私が一番最初に決まることとなった。
でも、友人からは羨ましがられなかったですけど。(円)

気持ちのよい風の通る生活

今日から新しい年度が始まりましたね!
みなさんにとっては、
それぞれ新しくなにかが切り替わることはありましたでしょうか?
緑心社はというと
新入社員が入るわけでも部署が変わることもあるわけでもなし
入稿直前のいつもの日常でありました。

でも今日は会社で古くからお世話になり、
親しくさせていただいている方が遊びにいらっしゃいました。
建築家というご職業で、うちの会社では珍しいお客様。
大大先輩であるのですが新しいことやご自分のやりたいことへの情熱を失わず
しかもそれを形にするためにきちんと行動する姿勢は
会社に清々しい薫風のような刺激を送り込んでくれました。

新しいなにか、これからやりたいなにかが常に内にも外にもある
風通りのよい生活をこれからも続けていきたいなと思いました。(池)
プロフィール

緑心社

Author:緑心社
ようこそ緑心社の
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